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心に響く聖書の言葉


マタイによる福音書17章1-13節 「山上の変貌」

 今回の箇所では、メシアとして来られたイエス様の真実の姿を知ることが出来ます。山上の変貌と呼ばれる聖書箇所です。

1.高い山


17:1 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。
17:2 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。

 ピリポ・カイザリヤを離れ、イエス様と弟子たちは高い山へ登りました。この山は以前はガリラヤにあるタボル山(標高560m)とされていましたが、現在ではヘルモン山だと考えられています。ヘルモン山は標高2,814m、ガリラヤ湖から北に約60キロ行った所にある高い山です。イスラエル12部族に割り当てられた領地の最北端に当たります。主イエスと弟子たちはこの山から南へ下り→ガリラヤ→サマリヤ→ペレヤ→最終地エルサレムを目指すことになります。この山でイエス様はご自身の本来の姿を現されました。その姿はまぶしくて直視できないほどの輝きでした。

2.ペテロとヤコブとヨハネ

 イエス様は12弟子の中でも特にこの三人の弟子たちを御そばに置かれました。ヤイロの娘をよみがえらせた時(マルコ5:37)、ゲッセマネの園での祈りの時(マタイ26:37)にもこの三人だけを近くまで連れて行かれています。彼ら三人が選ばれたのは、後の教会時代において指導的役割を持つからでしょう。

参照;ガラテヤ2:9 そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネが、私とバルナバに、交わりのしるしとして右手を差し伸べました。それは、私たちが異邦人のところへ行き、彼らが割礼を受けた人々のところへ行くためです。
※この節で語られているヤコブはイエスの兄弟のヤコブだと考えられます。使徒ヤコブは早くに殉教(使徒12章)するからです。したがって、使徒ヤコブをイエス様が山に連れて行ってご自身の栄光の姿を見せられたのは、彼が12使徒の中で最初に殉教する弟子であるがゆえの主のあわれみだと思います。

3.イエスとモーセとエリヤ

17:3 しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。

 モーセとエリヤは旧約聖書を代表する二人です。モーセはエジプトで苦しむイスラエル人を解放して導き、シナイ山にて神様から十戒の板を預かりました。エリヤは天から火を下すしるしを行なった旧約聖書を代表する大預言者です。



4.会話の内容


 モーセとエリヤが現れ、イエス様と何について話していたのでしょうか?・・ルカ福音書9:31で記されています。
ルカ 9:31 栄光のうちに現れて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。
 彼らはイエス様のご最期について話し合っていたのです。「ご最期」と訳されている語は、ギリシャ語で「エクソドス」で、元の意味は、「出ていくこと、〜から出発すること」を意味します。イスラエルをエジプトから脱出させたモーセが目の前にいて、イエス様のエクソドスについて話していたのです。イエス様とモーセには多くの共通点があります。

@モーセは父なる神と顔と顔を合わせて話をしました。イエス様は神のひとり子として父なる神の顔を見ていました。
Aモーセは神の栄光によってしばらくの間、顔から光を放ちました。それは神の栄光の反射でした。イエス様の顔は太陽のように輝きました。それはご自身の内から出る光です。
Bモーセはイスラエル人をエジプトの支配から解放しました。イエス・キリストは人々を罪の支配から、サタンの支配から解放します。
C申命記の中で父なる神様が、モーセの様なもう一人の預言者を起こすと約束されていました。それはイエス・キリストのことでした。
申18:15 あなたの神、【主】は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。

 預言者エリヤについて言うなら、彼はキリストが来られる前に現れることがマラキ書の中に預言されています。
マラキ3:1 「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、来ている」と万軍の【主】は仰せられる。
マラキ4:5 見よ。わたしは、【主】の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。

 この預言はバプテスマのヨハネによって成就するはずだったことをすでに学びました。マタイ14章 つまり、エリヤという預言者が終末においても深く関わることが預言されています。

 「最期」と言うことばに注目するなら、モーセもエリヤも特別な最期を経験した人たちです。そしてこの後イエス様も特別な最期を迎えられます。その三人が集まり、イエス様の最期について話し合っていたのです。
モーセの最期→申34:6 主は彼をベテ・ペオルの近くのモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知った者はいない。
エリヤの最期→U列王2:11 こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現れ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。

5.ペテロの提案

17:4 すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」

 ペテロたちはあまりにも神々しい光景ゆえ、恐れ、気が動転していました。ペテロは何を言って良いのか分からず、とっさに「幕屋を造りましょう」と提案しました。それは畏敬の念と、もてなしたいという思いからだったでしょう。また、モーセを前にして幕屋礼拝が思い出され、彼らを礼拝したいという気持ちから幕屋を作ると言い出したのかもしれません。しかし、彼らが居た場所は町から遠く離れた高い山の上でした。三つの簡素な天幕を作るにしてもどれだけの日数がかかるでしょう。まして神の栄光によって輝く彼ら三人を天幕に留めておくことなどできるはずもありません。

6.天からの御声

17:5 彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」という声がした。
17:6 弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。
17:7 すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない」と言われた。
17:8 それで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。


 ペテロがおせっかいな申し出を言い終える前に、光り輝く雲がイエス様たちを包み、見えなくなりました。「雲」は旧約聖書時代、神の臨在がこの地上に示される時に現われたものです。
出40:34-35 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、【主】の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、【主】の栄光が幕屋に満ちていたからである。

 そして、父なる神様からの声がありました。
「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」
 イエス様が水のバプテスマを受けられた時に天からあった声と同じですが、ここでは「彼の言う事を聞きなさい」が付け加えられています。それは弟子たちに向けられた父なる神様の命令でした。「彼の言うことを聞きなさい」――私たちクリスチャンにも与えられていることばです。

17:9 彼らが山を降りるとき、イエスは彼らに、「人の子が死人の中からよみがえるときまでは、いま見た幻をだれにも話してはならない」と命じられた。
 もし、ペテロたち三人がこの光景を吹聴するなら、群衆はイエス様を王にしようと再び担ぎ上げたことでしょう。しかし、それは父なる神様の御心ではありません。キリストを十字架抜きで支配者にしようとすることはサタンの思惑です。ですから、この時点では彼らが話すことを禁じられたのです。
 
 ペテロは後に、キリストの山上の変貌について次のように証ししています。
Uペテロ1:16 私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。
1:17 キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」
1:18 私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。

 私たちも将来、彼らが見た光景を見ることが出来ます。その時まで、神様の命令は「
彼の言う事を聞きなさい」です。イエス・キリストの言葉を聞いて、従いましょう。

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補足:弟子たちの疑問
 弟子たちは、イエス様が死からよみがえるとはどういう事か?と論じ合いました。
マルコ9:10 彼らはこのことばを胸に納め、死人の中からよみがえると言われたのはどういう意味か、互いに論じ合った。
 彼らには世の終わりの事としか理解できなかったのでしょう。そして、その前にエリヤが来るという預言はどうなるのか?と疑問に思いました。今、彼らが見たエリヤのことだったのか?とも考えたでしょう。
17:10 そこで、弟子たちは、イエスに尋ねて言った。「すると、律法学者たちが、まずエリヤが来るはずだと言っているのは、どうしてでしょうか。」
17:11 イエスは答えて言われた。「エリヤが来て、すべてのことを立て直すのです。
17:12 しかし、わたしは言います。エリヤはもうすでに来たのです。ところが彼らはエリヤを認めようとせず、彼に対して好き勝手なことをしたのです。人の子もまた、彼らから同じように苦しめられようとしています。」
17:13 そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと気づいた。


 彼らの疑問に対しイエス様は、バプテスマのヨハネが「エリヤ」として来たことを明らかにされました。しかし、イスラエルの王ヘロデがバプテスマのヨハネを処刑したため「エリヤが来てすべての事を立て直す」という預言は成就しませんでした。それでメシアとして来られたイエス様も殺されるのだというのです。

 しかし、聖書の預言は必ず成就するはずです。「エリヤが来てすべてを立て直す」という預言は必ず成就しなければなりません。つまり終末において再びエリヤが来るという事です。
※黙示録11:3に登場する二人の証人の内、一人は働きやしるしから見てエリヤである可能性が高いでしょう。
エリヤが来て、すべてのことを立て直すのです」――その意味は、イスラエルに霊的リバイバルをもたらすという事です。そして彼の後に再びイエス・キリストが来られます。その時にはイスラエルの王として、全世界の支配者としてキリストが来臨され、すべてのメシア王国預言は成就することになります。