心に響く聖書の言葉

説教者のための十戒


 これから牧師として説教をされる方々のため、また、説教の指針を必要としておられる方々のために、その心得を「説教者のための十戒」としてまとめました。牧会の働きを通して学んだこと、そして過去の反省も含めて大切だと気づいたことを挙げています。

説教者のための十戒



一、御言葉(聖書)を解き明かしなさい
 説教は御言葉の解き明かしです。説教は自己啓発セミナーや道徳の時間ではありません。御言葉を正しく解釈し、それを伝えることに専念してください。そのためには多くの時間を学びに費やさなければならないでしょう。まず聖書箇所(テキスト)を何度も読み返してください。さらにできる限りギリシャ語、ヘブル語の原語の参照、写本についての理解、数ある翻訳を参照し、御言葉の解釈に取り組んでください。

Uテモテ 2:15 あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。

二、他の説教者に学びなさい
 注解書参照と、御言葉を忠実に解き明かしておられる説教者の説教を聞くことが必要不可欠です。説教箇所(テキスト)の様々な解釈を知ったうえで、正しいと確信した解釈に立って説教してください。そうすることによって、独断的解釈、偏った解釈の危険に陥らずに済みます。どの解釈が正しいか迷ったときには、選択肢があることをそのまま伝えても良いでしょう。様々な立場の説教者(聖書学者)の声に耳を傾けて比較検討し、説教準備に時間をかけて下さい。解釈以外にも、話し方、真理の伝え方、表現の仕方など、学ぶことは多いはずです。一夜漬けの説教は一日で忘れ去られます。

三、聖書朗読を省略してはいけません
 説教は聖書の解き明かしですから、聖書の朗読を省略しないでください。礼拝の基本は御言葉の朗読とその解き明かし、賛美、祈りです。説教箇所を読んだ後に解き明かすことが重要です。聖書朗読をしなかったり、前後を飛ばして中心聖句だけ朗読するという態度は、御言葉離れを引き起こす要因になるでしょう。ただし、聖書朗読があまりにも長いと耐えきれない聴衆もいます。そのバランス感覚を身につけてください。

ネヘミヤ 8:3 水の門の前の広場で、夜明けから真昼まで、男や女で理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな、律法の書に耳を傾けた。
ネヘミヤ 8:8 彼らが神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、民は読まれたことを理解した。
Tテモテ 4:13 私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。


四、テキストの前後関係を理解して解釈しなさい
 聖書解釈において前後関係を理解することは重要なことです。
 @いつ、どこで、誰に対して語られたのか?
 Aどのような目的で書かれたのか?
 B強調されていることは何か?
 C並行箇所(同じ内容が記されている箇所)があるか?――もしあれば、そこではどのように教えられているのか?違いは何か?
 これらを踏まえて解釈していきます。また、その書簡の著者が伝えようとしている主題を理解しておくことも重要です。

五、たくさんのテキストを開かないように
 説教を聞く側にとってつらいことは、説教の聖書箇所があちこち飛んでしまうことです。たくさんの聖書箇所を開くと関心が次に移ってしまい、主題、論点がぼやけてしまいます。ですから説教者は、準備の段階で多くの聖書箇所を開くことは必須ですが、説教では話をしっかりまとめてから説教し、主題からそれないように気を付けるべきです。

六、真理を伝えるためにあらゆる工夫をしなさい
 聖書の真理をわかりやすく伝えるために、説教者はあらゆる工夫をすべきです。視覚教材を用いることはとても有効です。「ナザレの町では・・・」と言うだけでなく、地図を用いたり、現在の町の写真をプロジェクター等で見せると、目からも情報が入ってくるため、関心と理解が高まります。適切なことわざや例話を交えて語るなら、聖書の真理がスッと心に入ってきます。イエス様が話されたように、身近な物や出来事を用いて真理を伝えてください。

七、例話に頼ってはならない
 感動的な例話を用いることによって説教をまとめないでください。御言葉(福音)こそ人々の心に感動と悔い改めを与えるものです。そこに感情を揺さぶるような例話を用いるなら、御言葉は忘れ去られ、例話だけが残ってしまい、感情的な信仰に陥る危険があるからです。真理をわかりやすくするための例話は有効ですが、説教の中心がこの世の感傷的出来事になってしまってはいけません。

Tコリント 15:2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
使徒 17:11 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。


八、説教を使命と思いなさい
 説教者は、「説教することが自分に与えられた最大の使命」だと思ってください。牧師の務めは羊を飼うことであり、慰めや励ましを与え、助ける働きがあります。しかし、牧師の務めで最優先されるべきは羊を導くことです。その最たる働きが説教です。導く方向が間違っていたなら、すべての羊を危険な目に合わせてしまうことになります。ですから、牧師は真理に固く立ち、説教を通して人々を正しい方向へと導かなければなりません。その際、忘れてはいけないことは、御言葉が人を導き、救いと祝福を与えるということです。福音のことば自体に神の力が働くのです。

Tテモテ 4:16 自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。
使徒 20:32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。
ローマ 1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。


九、集われる方々を愛して語りなさい
 説教者は集われる方々を愛して語るべきです。真理であっても強制されるなら誰でも嫌になります。冷たい刃で刺し貫く説教は、聞く者を震えあがらさせます。しかし、説教者が集われる方々を心から愛し、その人たちのために熱心に祈り、心から説教するなら、そこには平和が保たれ、イエス様がその説教を祝福してくださいます。
 独りよがりの説教をしてはいけません。聖書研究をして恵まれるのは感謝ですが、聞いてくださる方々があっての説教です。神学的な論争をグダグダと話し続けたり、一つの事にこだわって難しい神学用語を用いて話し続けるなら、聞く側はたまったものではありません。聴衆には年長者から子供までいます。信仰歴の長い人もいれば救われたばかりの人、求道者もおられます。すべての人が興味を持ち、理解できる内容で説教するということは最初から不可能に近いことです。しかし、説教者はすべての聴衆が聞いて満足できるように説教内容をまとめるべきです。語るのは学んだことの一部分にしかならないでしょう。それでも祈りつつ説教の準備をし、熱意をもって説教するなら、そこに聖霊様が働かれるのです。

Tコリント 13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
Uテモテ 4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。


十、御言葉を愛しなさい。
 説教者に最も大切な資質は、「御言葉を愛している」ことです。十字架の福音、イエス様が語られたことば、そして父なる神様の永遠のご計画が記された聖書全体を愛している――これが最も大切です。御言葉を愛するなら、説教の準備は苦になりません。説教は喜びのときとなります。批判や裏切りも想定内の出来事(聖書には説教者に対する多くの批判、裏切り、迫害が記されている)です。聴衆が多くても少なくても動じません。生活が苦しくても耐えることができます。御言葉を愛し、御言葉によって心動かされて説教を続けるなら、最高の説教者となれるでしょう。

詩篇 119:103 あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。
エレミヤ 15:16 私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。
エレミヤ 20:9 私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。