心に響く聖書の言葉

聖書的シンプルライフ第二章


第 二 章  シンプルライフの模範


 第一章では「現状を知る」ことから始めました。現状を知り、問題点を知らなければなりません。そして聖書の言葉を信じているクリスチャンがシンプルライフを率先し、まわりの人々に対して良い模範となることが大切です。この社会は高級志向、贅沢指向、預貯金だけが安心の寄り所ですが、私たちの宝はキリストであり、安心の拠り所は、全能の父なる神様です。


 私たちがシンプルライフを率先していくために、イエス・キリストは模範を残してくださいました。イエス・キリストは私たちのために、あえて貧しくなられました。うす暗く、汚い家畜小屋で生まれ、大工の息子として成長されました。財産もなく、公生涯の間、ほとんど持ち物もなかったことでしょう。イエス・キリストは天の栄光と富を捨てて、この地上にくだり、十字架の道を選ばれました。なぜ彼は大富豪の家にお生まれにならなかったのでしょうか?なぜ、宮殿でお生まれにならなかったのでしょうか?教えを広めるためにはその方が手っ取り早かったのではないでしょうか?・・・・キリストが貧しくなられたのには理由があります。

A.貧しい人たちの友となり、彼らを救い、導くためでした。

B.貧しさの中にあっても神にあって富むことが出来ることを教えるためでした。

Uコリント8:9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

 この聖書の箇所は献金について教えている箇所です。貧しい人であっても貧しい中からいくらかでも神様に献げるなら、そのささげ物は祝福され、神様の栄光をあらわすことを教えています。五千人の給食の時に、そこには少年の手にあるパン五つと魚二匹しかありませんでした。人間的に考えるなら、五千人にとって何の役にも立たないお弁当です。しかし、少年がそれを差し出した時に、奇跡が起こりました。イエス・キリストはパンと魚を増やし、すべての人が食べて満腹し、余りが12かごもありました。この世では役に立たないと思われていても、主の御手によって用いられるときに、神様の栄光をあらわすことが出来るのです。イエス・キリストが貧しくなり、貧しい人の友となられたのは、この世では見下され、役に立たないとされている人でも、信仰を持つなら、神様の栄光をあらわす人となることを教えています。キリストは貧しい人となられましたが、霊においては最も富んでおられるお方でした。キリストはその模範を示されたのです。

 イエス・キリストを知るほどに、この世の富は本当の価値がないことを教えられます。なぜならいつかはなくなってしまうものだからです。天に宝を積むことこそ、私たちがこの地上でできる永遠のための準備です。天に宝を積むためには、霊的にも物質的にもシンプルライフを実践していくことです。

 キリストこそ聖書的シンプルライフの一番の模範だと信じ、実践していきましょう。


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