心に響く聖書の言葉

十戒・第六戒    


出エジプト記20章13節
「殺してはならない」

 モーセの十戒は、その第1戒から第5戒までは神様に対する戒めであり、第6戒から第10戒までは人に対する禁止事項と考えることが出来ます。神様が人を創造されたとき、「良心」を与えられたので、十戒として規定されなくても自然に私たちはそれが罪であることを理解します。しかし、文字として書き記され、規定されるとき、罪は犯罪となり、さばきを受けるものとなるのです。文字は人をさばき、人を罪に定めます。これが律法です。

 第六戒は人に対する規定の中で、最も基本的な戒め「殺してはならない」です。


1.へりくだる心、赦す心を持つこと

 犯罪の中で最も戒められるべきは殺人です。聖書は人間の歴史上、最初の殺人事件について次のように記しています。
創世記 4:1 人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、【主】によってひとりの男子を得た」と言った。
4:2 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
4:3 ある時期になって、カインは、地の作物から【主】へのささげ物を持って来たが、
4:4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。【主】はアベルとそのささげ物とに目を留められた。
4:5 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。
4:6 そこで、【主】は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
4:7 あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
4:8 しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。

 最初の殺人は、アダムとエバの子であるカインが弟アベルを殺した事件でした。殺害の原因は兄弟喧嘩ではなく、兄カインの恐ろしい嫉妬心から起きた殺人でした。弟のささげものは神に受け入れられたのに、カインのささげものは受け入れられませんでした。弟は正しいとされ自分は退けられた――そこに嫉妬があり、怒りと苦々しい感情でカインは弟アベルを殺害したのです。もしカインがへりくだり、自分の誤りを正そうとしたなら彼は殺人を犯さなかったでしょう。高慢があらゆる悪の根です。へりくだる心を持つことが第六戒「殺してはならない」を守る秘訣です。

 「殺してはならない」という戒めを学ぶに当たり、最近の犯罪事件を調べると、その傾向として、怨恨が原因では無く、また残虐化の傾向にあります。それは快楽殺人と区分される事件です。自分の欲望や興味を満足させるために殺人を犯すのです。きわめて混乱した社会であると感じます。

 殺人でも罪とされない殺人があります。正当防衛など止むを得ない事情による殺人、心神喪失者による殺人、戦争による殺人、死刑制度における処刑などです。どれも議論のある問題です。

 旧約聖書時代には「聖絶」という命令のもとに異邦人殺人が行なわれました。特に出エジプト後、パレスチナの地へイスラエル人が戻ったときに、400年に渡ってそこに住んでいたカナン人らを「聖絶の民」と呼び、殺害していきました。何の説明もなくこの歴史を読むなら、聖書の神はなんてひどい神だと感じるでしょう。しかし、聖絶は神のさばきであったことを知らなければなりません。神様はイスラエルを選ばれ、イスラエルを通してさばきを下されたのです。カナン人らは偶像礼拝者であり、神に反逆していた人たちでしたので、神は彼らをさばかれ滅ぼされたのです。また、神はカナン人を滅ぼすことにより悪が増え広がることを抑制されたのです。
 聖絶はその時代における特別な命令でした。現在、イスラエルに「聖絶せよ」との命令はありません。神様の戒めは常に「殺してはならない」です。
 (神が聖絶を命じられたのは、その人々の堕落があまりにもひどかったからです。しかし愛なる神がどうして――と尚、納得いかない人も多いと思いますが、人間は神様の御心をすべて理解できませんし、人間のさばきと違い神様が下されるさばきは誤りがないと考える以外ないでしょう。) 

 イエス・キリストが来られた時、「殺してはならない」の意味を正しく説明されました。

マタイ5:21 昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
5:38 『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
5:39 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。
5:43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。


 「殺してはならない」という戒めには、へりくだる心を持ち、人を赦しなさい、愛しなさい、という神の御心が示されているのです。

2.人のいのちこそ最も大切なもの


 「殺してはならない」という戒めには、もうひとつの真意があります。神は人間のいのちを大切にしておられるということです。

マタイ16:26 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。

 殺人は人に対して犯す罪の中で最も大きな罪です。それは神様が創造し大事にしている被造物を壊してしまうことであり、神に対する反逆です。また、神がその人に与えられているすべての恵みを一瞬で奪い去ってしまうことです。ですからどんなことがあっても人を殺してはいけないのです。

 人は神様から与えらえているいのちを粗末に考えすぎです。禁酒を勧めると、「酒が飲めないくらいなら死んだ方がましだ」という答えが返ってきます。禁煙を勧めると、「別に長生きしたくないし」という答えです。いのちより酒やタバコの方が大事だというのでしょうか?人はいのちの価値がわからないのです。

 自殺もまた殺人です。日本は自殺大国であり、年間3万人近い人たちが自らいのちを絶っています。自殺者の自殺原因を調べると、もっとも多いのは健康問題、その次に経済問題(借金苦など)、家庭問題、会社勤務問題、男女問題と続きます。共通するのは希望を失ってしまったことです。このまま生きていても良いことがないと、自らいのちを絶ちます。いのちを与えておられる神を知らないなら、生きる意味が分からないのは当然です。創造者を知ることが、あなたの生きる意味、いのちの価値を知る唯一の方法です。あなたを助けてくださる神様がおられることを知ったら、絶望などありえません。どれほどの窮地に陥ったとしても救いが備えられているからです。聖書の神は何も出来ない、ちっぽけな神ではありません。


 「殺してはならない」という戒めは、「あなたのいのちは尊い」という神様からのメッセージだということを覚えてください。

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