心に響く聖書の言葉

8.王国について


 ディスペンセーションの解釈において注目されるべきは王国についての解釈です。目に見える王国(千年王国)と目に見えない王国(霊的な王国)、神の国と天の御国、それらをすべて区別することは難しいことです。これらの区別を難しくしている理由の一つに、ギリシャ語の「バシレイア」という語には「王国」という意味と「支配」という意味があることです。ここではディスペンセーションにおける王国の解釈をまとめておきます。

1.ダビデに約束された王国
 旧約聖書の中で神様はダビデに「王国の約束」を与えられました。
T歴代17:11 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちのもとに行くようになるなら、わたしは、あなたの息子の中から、あなたの世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。
17:12 彼はわたしのために一つの家を建て、わたしはその王座をとこしえまでも堅く立てる。
17:13 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。わたしはわたしの恵みをあなたの先にいた者から取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。
17:14 わたしは、彼をわたしの家とわたしの王国の中に、とこしえまでも立たせる。彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ。」

 この約束は最初、サウル王に与えられるはずでしたが、彼は主の命令を守らなかったためこの約束をいただくことが出来ませんでした。
Tサムエル 13:13 サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、【主】が命じた命令を守らなかった。【主】は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。
 従って次王のダビデにこの約束は与えられました。Uサムエル7:12-16は同じ約束を記しています。多少の違いがありますが、どちらの聖書箇所においても無条件で「王国の約束」が与えられています。つまり、ダビデが不信仰に陥ったとしてもこの約束は無効になったりしないということです。ダビデに約束された王国の要点をまとめると、
@ダビデの子孫から王を立てる
A彼が罪を犯しても王座を取り去ることはない
B彼の王国を永遠に確立させる


 ダビデの王座を受け継いだのはダビデの息子ソロモンでした。ソロモン王は主の御心にかない、知恵を与えられ、彼によってこの約束は成就した、と思われました。次の言葉はソロモン王に対するものです。
T列王9:4 あなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、全き心と正しさをもって、わたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めとを守るなら、
9:5 わたしが、あなたの父ダビデに、『あなたには、イスラエルの王座から人が断たれない』と言って約束したとおり、あなたの王国の王座をイスラエルの上に永遠に確立しよう。
9:6 もし、あなたがたとあなたがたの子孫が、わたしにそむいて従わず、あなたがたに授けたわたしの命令とわたしのおきてとを守らず、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、
9:7 わたしが彼らに与えた地の面から、イスラエルを断ち、わたしがわたしの名のために聖別した宮を、わたしの前から投げ捨てよう。こうして、イスラエルはすべての国々の民の間で、物笑いとなり、なぶりものとなろう。

 ここで注意しなければならないのは、ダビデに語られた約束と異なり、ソロモン王との約束は条件付きのものになっています。「〜するなら、約束通りあなたの王国の王座をイスラエルの上に永遠に確立しよう」で、もしソロモン王が主の命令とおきてを守らなかったなら、「投げ捨てよう」と語られています。歴史は後者となりました。ソロモン王は外国の多くの女性を愛して妻としました。そして彼女たちに惑わされて偶像の神に礼拝をささげるようになりました。
T列王11:11 それゆえ、【主】はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。
 ソロモン王は主の命令とおきてを守りませんでした。それゆえ彼は投げ捨てられ、ダビデに約束された永遠の王国の世継ぎとなれませんでした。その後の南北王朝に分かれたイスラエルにも永遠の王国の世継ぎは現れませんでした。ディスペンセーションでは預言された御言葉は文字通りに実現すると解釈するので、ダビデに約束された永遠の王国はまだ成就していないと理解します。

2.イエス・キリストが提供された王国
 イエス・キリストが来られた時、彼はユダヤ人の王として来られたと福音書は示しています。
マタイ 2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
マタイ 27:11 さて、イエスは総督の前に立たれた。すると、総督はイエスに「あなたは、ユダヤ人の王ですか」と尋ねた。イエスは彼に「そのとおりです」と言われた。
マタイ 27:37 また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。

 イエス様がエルサレムへ入城されたときにロバの子にまたがり、人々が歓声を持って迎えたのはまさにゼカリヤの預言の成就であり、イスラエルの王としてのエルサレム入城でした。
ゼカ リヤ9:9 シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。
 したがってエルサレム入城をゼカリヤ預言の完全な成就としてみるなら、イエス様はダビデ王国の世継ぎとして来られたことになります。イエス様が行なったしるしや病人の癒しはまさに旧約聖書で預言された永遠のメシア王国の実現でした。バプテスマのヨハネが遣わした弟子たちにイエス様は次のように答えられました。
ルカ7:22-23 そして、答えてこう言われた。「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。」
 これはイザヤが預言していたことでした。
イザヤ35:5-6 そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。
イザヤ61:1 神である主の霊が、わたしの上にある。【主】はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、

 したがって、イエス・キリストが提供されたのは地上における王国であり、ダビデに約束された永遠の王国でした。しかし、イスラエルはユダヤ人の王として来られたイエス・キリストを拒んだために王国の成就は延期されました。ちょうどソロモン王の不信仰によって王国が延期されたのと同じように、この時には民の側の不信仰によって王国が延期されたのです。
ルカ13:34 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
13:35 見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。わたしはあなたがたに言います。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたの言うときが来るまでは、あなたがたは決してわたしを見ることができません。」


3.目に見える王国と目に見えない王国
 イエス様や使徒たちが宣べ伝えたのは「神の国の福音」でした。
ルカ 4:43 しかしイエスは、彼らにこう言われた。「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」
使徒 28:31 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

 しかし、福音書では「神の国」は様々な意味で用いられています。

@天国のことを言っていると思われる聖書個所
ルカ 13:28 神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちが入っているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。

A将来の地上の王国を示していると思われる聖書個所
マルコ 14:25 まことに、あなたがたに告げます。神の国で新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
マルコ 15:43 アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。
ルカ 19:11 人々がこれらのことに耳を傾けているとき、イエスは、続けて一つのたとえを話された。それは、イエスがエルサレムに近づいておられ、そのため人々は神の国がすぐにでも現れるように思っていたからである。
ルカ 21:31 そのように、これらのことが起こるのを見たら、神の国は近いと知りなさい。


Bイエス様の初臨時における地上の王国と思われる聖書個所
マタイ 12:28 しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。
マタイ 21:43 だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。


C人の内側におこる霊的な神の支配と考えられる聖書個所
ルカ 17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
ルカ 17:21 『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
マタイ 21:31 ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」彼らは言った。「あとの者です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入っているのです。
ローマ 14:17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。

D聖霊降臨により始まる教会時代のことを言っていると思われる聖書個所
マルコ 9:1 イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国が力をもって到来しているのを見るまでは、決して死を味わわない者がいます。」
 したがって「神の国」について解釈しようとするときには、どの「神の国」について語られているかを把握しなければなりません。そのためには前後関係を注意深く調べていく必要があります。

 また「天の御国」という言い方はUテモテ4:18を除いてマタイによる福音書にしか登場しません。そして「天の御国」は他の福音書では「神の国」と置き換えられていることが多くあります。ですから「神の国」と「天の御国」の厳密な使い分けを理解することはほとんど不可能でしょう。
マタイ 4:17 この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マルコ1:15では神の国)
マタイ 8:11 あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。(ルカ 13:28では神の国)

 次のマタイによる福音書ではイエス様が「天の御国」と「神の国」を使い分けされていないように考えられます。
マタイ 19:23ー24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」

 つまり、「天の御国」と「神の国」の使い分けははっきりされていませんが、イエス様は「目に見える地上の王国」と「霊的な神様の支配」の両方について教えておられ、それらは区別されていて、キリストの公生涯の時には一時的に「目に見える地上の王国」が提供されたことがわかってきます。しかし、その地上の王国はイスラエルの不信仰により延期されました。将来、イエス・キリストが再臨されるときに「目に見える地上の王国」つまりダビデの王国預言が完全に成就します。なぜならイエス・キリストが十字架により完全な救い主となられたからです。力で支配するのではなく、罪を赦すことが出来るお方こそ真の救い主だからです。そしてイスラエルの民も主イエスが再臨される時には患難期の苦しみを通して信仰に立ち返っていることを聖書は預言しています。
ローマ11:25 兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、
11:26 こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
11:27 これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」

 ですからキリストの再臨の時には「永遠に続くダビデの王国」が開始され、それは再び延期されることはありません。

 ディスペンセーションでは、「霊的な神の支配、霊的な王国」をダビデ王国の完全な成就と考えません。霊的に教会(信者一人一人)が成就したとしても、ダビデとの「王国の約束」は依然として続いていて、将来必ずイスラエル民族のために実現されると信じるのです。神の国を霊的に成就している今の教会は、将来の「目に見える永遠の王国」のひな型と言えるのです。
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