心に響く聖書の言葉

七章 千年王国とはA




 聖書には、近い将来始まる千年王国に関しての預言が数多く記されています。教会時代を「霊的祝福の時代」と呼ぶなら、千年王国は「可視的祝福の時代」、あるいは「実質的祝福の時代」と呼ぶことが出来るでしょう。この千年王国は神様が人間に与えられる祝福の現実化であり、神様が人と結ばれた契約の履行と言えます。言わば神様の威信にかけて実現される時代です。

1.千年王国に入る人々


 では、千年王国には誰が入ることが出来るのでしょうか?―― 聖書にはいくつかのグループ分けがされています。

a.生き残ったイスラエル人

 第一に、患難期を生き残ったイスラエル人が挙げられます。患難期と千年王国は、神様がイスラエルと結ばれた契約によるものだと学びました。それゆえ、患難期において信仰復帰して生き残ったイスラエル人が千年王国に入ることは間違いありません。それは多くの預言者によって預言されています。

ゼカリヤ13:8 全地はこうなる──【主】のことば──。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。
13:9 わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を錬るように彼らを錬り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『【主】は私の神』と言う。」

エゼキエル39:28 わたしは彼らを国々に引いて行かせたが、また彼らを彼らの地に集め、もう国々には一人も残さない。このとき彼らは、わたしが彼らの神、【主】であることを知る。
39:29 わたしは二度と、わたしの顔を彼らから隠すことはない。わたしの霊をイスラエルの家の上に注ぐからである──【神】である主のことば。」

アモス9:14 わたしは、わたしの民イスラエルを回復させる。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。
9:15 わたしは、彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが与えたその土地から、もう引き抜かれることはない。──あなたの神、【主】は言われる。」

b.生き残った異邦人

 患難期を通り抜けて生き残っている人口は、戦争と大災害の結果、全世界でかなり少なくなっているでしょう。しかし生き残った人々が全員王国に入るのではありません。マタイによる福音書25章では、千年王国へ入る人々についてイエス・キリストが次のように教えられました。

25:31 人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。
25:32 そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、
25:33 羊を自分の右に、やぎを左に置きます。
25:34 それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい
25:35 あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、
25:36 わたしが裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからです。』
25:37 すると、その正しい人たちは答えます。『主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。
25:38 いつ、旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せて差し上げたでしょうか。
25:39 いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
25:40 すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』
25:41 それから、王は左にいる者たちにも言います。『のろわれた者ども。わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ
25:42 おまえたちはわたしが空腹であったときに食べ物をくれず、渇いていたときに飲ませず、
25:43 わたしが旅人であったときに宿を貸さず、裸のときに服を着せず、病気のときや牢にいたときに訪ねてくれなかった。』
25:44 すると、彼らも答えます。『主よ。いつ私たちは、あなたが空腹であったり、渇いていたり、旅人であったり、裸でいたり、病気をしていたり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
25:45 すると、王は彼らに答えます。『まことに、おまえたちに言う。おまえたちがこの最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのだ。』
25:46 こうして、この者たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」


 主イエスの教えでは、患難期を生き残った全世界の人々が二分されます。一方は「祝福された人たち」であり、王国へ入ります。そしてもう一方は「のろわれた者ども」であり、永遠の刑罰に入ります。これはたとえではなく、脅しでもありません。イエス様は将来に起こることを包み隠さずに教えられたのです。

 ※ただし、この箇所は行いの良し悪しによる救いを教えているかのように受け取られます。この箇所を正しく理解するためには、この時が患難期を背景にしている事を理解することが重要です。

 イエス・キリストは、王国へ入る人々の条件を次のように教えられました。

25:40 すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』

 ここでイエス・キリストが「わたちの兄弟たち」と呼んでいるのは誰の事でしょうか?「小さい者たち」とは誰を指しているのでしょう?「空腹で、渇き、宿がなく、旅人であり、裸であり、病気にかかり、投獄される人たち」とは誰の事でしょう?――それは患難期において大迫害を受け、貧しくなり、最も卑しめられるユダヤ人を指していると考えられます。
 患難期には反キリストが支配者となり、彼の命令によりユダヤ人は大迫害を受けます。その勅令下にあってユダヤ人に手を差し伸べ助けることは、自らも自由を奪われ、命を危険にさらすことになります。それを覚悟のうえでユダヤ人をあわれみ、彼らに善を施す人たちとは?――聖書の真理を理解し、ユダヤ人に対する神様のご計画を知る人たち、つまり、イエス・キリストを救い主と信じる人たちです。彼らは永遠のいのちを持ち、王国へ入るのです。

c.キリストと共に地上再臨するキリスト者

 千年王国に入る人々のグループには地上から贖われる人々の他に、キリストと共に天から降りてくる人々がいます。その人々とは、患難期の前に空中携挙によって天に引き上げられていた教会です。


 次の聖書個所はこの事を預言していると考えられます。

ゼカリヤ14:5 「山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたはわたしの山々の谷に逃げる。ユダの王ウジヤの時に地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げる。」私の神、【主】が来られる。すべての聖なる者たちも、主とともに来る

ユダ1:14 アダムから七代目のエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ、主は何万もの聖徒を引き連れて来られる

Tテサロニケ4:16 すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
4:17 それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

 また、次の聖書箇所は、千年王国における教会の立場を示しています。

黙示録19:6 また私は、大群衆の声のような、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のようなものがこう言うのを聞いた。「ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。
19:7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。

エペソ5:31 「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」
5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。

 千年王国における教会はキリストの花嫁という立場であり、キリストと一つだと教えられています。ですから、教会はイスラエルや旧約時代の聖徒たちとは区別されていて、神様のご計画の中で奥義として特別な立場を与えられているのです。

d.患難時代の殉教者及び旧約の聖徒たち

 患難時代に殉教した人々の復活が、黙示録の中にはっきりと預言されています。彼らは、イエス・キリストが王国設立のために来られる時によみがえり、キリストと共に王として世界を支配することが預言されています。

黙示録20:4 また私は多くの座を見た。それらの上に座っている者たちがいて、彼らにはさばきを行う権威が与えられた。また私は、イエスの証しと神のことばのゆえに首をはねられた人々のたましいを見た。彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。

 また、この時には旧約時代の聖徒たちもよみがえると考えられます。

イザヤ 26:19 あなたの死人は生き返り、私の屍は、よみがえります。覚めよ、喜び歌え。土のちりの中にとどまる者よ。まことに、あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます。

ヨハネ5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞く時が来るのです。
5:29 そのとき、善を行った者はよみがえっていのちを受けるために、悪を行った者はよみがえってさばきを受けるために出て来ます。

黙示録20:6 この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対して、第二の死は何の力も持っていない。彼らは神とキリストの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。

 千年王国が開始されるときに、第一の復活が起こります。彼らは幸いな者、聖なる者であり、栄光の体でよみがえり千年王国に入ります。したがって旧約時代の聖徒たちがよみがえるときはこの時をおいて他にありません。

2.千年王国の暗い影


 千年王国時代は、主イエス・キリストが王として支配され、義と平和が実現される時代ですが、その時代の終わりに悪魔が再び解き放たれ、諸国民を惑わすことが預言されています。しかし最終的には神様の直接介入により、悪の勢力は滅ぼされ、悪魔は地獄(ゲヘナ)へ落とされます。

黙示録20:7 しかし、千年が終わると、サタンはその牢から解き放たれ、
20:8 地の四方にいる諸国の民を、すなわちゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海の砂のようである。
20:9 彼らは地の広いところに上って行き、聖徒たちの陣営と、愛された都を包囲した。すると天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。
20:10 彼らを惑わした悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれた。そこには獣も偽預言者もいる。彼らは昼も夜も、世々限りなく苦しみを受ける。

  千年王国の結末は私たちに次のことを教えています。――人間は環境がどれほど良くなっても、又、悪が裁かれると分かっていても、自分の肉の欲に引き寄せられ、神に対して罪を犯してしまう存在だということです。だからこそ人は神様によって造られ、愛されている者であることをよく理解する必要があります。自分の弱さを認め、神様に信頼し、創造者の御心に従って生きることを選択すべきなのです。

 神様を礼拝し、神様の栄光をあらわすことこそ、私たちが生かされている目的です。そして神様の愛の中にとどまり、兄弟姉妹と共に交わり生きることが、私たち人間にとって本当の幸せと呼べるのです。


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