マタイによる福音書15章21-28節 「あなたの信仰はりっぱです」 並行カ所マルコ7:24-30

背景:@イスラエルがメシアとして来られたイエス様を拒むことがはっきりしました。
Aイエス様の宣教目的が次第に十字架と後の異邦人の時代に向けられ、弟子訓練を始められました。
B先週の箇所ではユダヤ人が守ってきた言い伝え(ミシュナ)は神の言葉ではないことを教えられ、エルサレムからの視察団を怒らせて帰らせました。

1.カナン人の女 21-22節

15:21 それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に立ちのかれた。
A.ツロとシドン(マルコではこの出来事はツロとなっている)・・・ フェニキア地方(現在のレバノン地方)
イエス様と弟子たちはツロからシドンまで足を伸ばし、ガリラヤ湖方面へ戻り、ガリラヤ湖南東のデカポリスへ行き、北へ向かってピリポ・カイザリヤ、そしてヘルモン山を回られてガリラヤへ戻られる。(そこから後期ガリラヤ伝道となる。17:14〜)

B.異邦人の地へ出られた理由として次の事が考えられます。
@エルサレムからの視察団を怒らせて帰らせたため、宗教指導者たちとの無益な衝突、迫害を避けるために一時的に避難された。(冷却期間)
Aイエス様ご自身と弟子たちにとっての休息期間として(ガリラヤでは数千人が常に押し寄せてきていたため休む間もなかったはずです。)
B異邦人の地における弟子たちの伝道実地訓練のため
C後の異邦人伝道の予表、ひな型として(異邦人伝道は教会時代に入ってから開始されますが、その先駆けとしてイエス様自身も異邦人伝道を行なうため。) 
Dユダヤ人の言い伝え(ミシュナ)に記されたことは間違いであることの証明のため。異邦人は人間ではなく、ユダヤ人より劣るという教えは、このカナン人女性の信仰によってくつがえされることになります。
15:22 すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」

C.カナン人
@パレスチナの土地の先住民でした。
Aさまざまな偶像礼拝が行なわれ、不道徳な生活習慣を持っていたため、聖書では忌み嫌うべき人々、縁を断つべき人とされています。
レビ18:3 あなたがたは、あなたがたが住んでいたエジプトの地のならわしをまねてはならない。またわたしがあなたがたを導き入れようとしているカナンの地のならわしをまねてもいけない。彼らの風習に従って歩んではならない。
エズ 9:1-2 これらのことが終わって後、つかさたちが私のところに近づいて来て次のように言った。「イスラエルの民や、祭司や、レビ人は、カナン人、ヘテ人、ペリジ人、エブス人、アモン人、モアブ人、エジプト人、エモリ人などの、忌みきらうべき国々の民と縁を絶つことなく、かえって、彼らも、その息子たちも、これらの国々の娘をめとり、聖なる種族がこれらの国々の民と混じり合ってしまいました。しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」

B子どもが悪霊に憑かれていた母親・・・どのような症状であったかわかりませんが、母親が悪霊付きだと認めるほど症状が明らかで、治療不可能な状態であったのでしょう。イエス様が来られたと聞くと、藁をもすがる思いで彼の元へ行き、ひれ伏して願いました。当時、カナン人とユダヤ人は敵対関係でしたから、カナン人がユダヤ人にお願いする事はありえないことでした。
Cマルコ福音書では、彼女はスロ・フェニキヤ生まれのギリシヤ人と書いています。詳細は分かりませんが、ギリシャ人の血を受け継いでいるとするなら、彼女の家庭は文化的であり、裕福であったかもしれません。姦淫の現場で捕らえられた女性とは全く異なり、気品のある女性であったと推測します。その女性が大声で叫び続け、ひれ伏してお願いする姿は、長きに渡り相当の苦しみを負っていたと理解できます。

2.冷たい態度の主イエス  23-27節

15:23 しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです」と言ってイエスに願った。
@無視の理由は?・・・旧約聖書の規定に従うためです。(彼女がカナン人であり、忌み嫌うべき人々であるという旧約の戒めを守るため。)
 執拗に叫びながらイエス様一行の後をついてくる女性に対して、弟子たちのほうから「あの女を帰してやってください。」とお願いします。イエス様の次の言葉から、弟子たちは「女の願いを聞き入れて帰してください」と願っていることが分かります。
15:24 しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」と言われた。
「わたしはイスラエル人のために来たのであって、異邦人のために来たのではない」という意味です。
A冷たい言葉の理由は?・・・父なる神の御心に従うためです。
 ・イエス様は父なる神の御心(聖書の預言)にしたがって、イスラエルの王として、ダビデの永遠の王座を確立するために来られたのです。
 ・また、「福音はエルサレムから」という預言があります。主イエスは神の国の福音を伝える使命を与えられて来られたのです。
イザヤ2:3 多くの民が来て言う。「さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから【主】のことばが出るからだ。
ミカ4:2 多くの異邦の民が来て言う。「さあ、【主】の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから【主】のことばが出るからだ。

※教会時代に生きる私たちにとって、この主イエスの差別的な言葉を理解するためには、聖書の時代的区分(ディスペンセーション)の理解が必要です。教会時代は奥義であり、特別な時代です。神様の契約は常にイスラエルと結ばれていて、その契約に基づいて主イエスはメシア、王として来られました。しかしイスラエルがキリストを受け入れなかったため、異邦人の時代(教会時代)が続いているのです。
15:25 しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください」と言った。・・・・ それでも母親は引き下がりません
15:26 すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われた。

B差別の言葉の理由は?・・・ユダヤ人の考え方に従うためです。
 「小犬」はペットとして飼われる小犬を指す言葉です。それでもユダヤ人を子どもと呼び、異邦人を小犬と呼ぶことは、差別していることに変わりありません。この考え方はミシュナ(口伝律法)的です。イエス様はミシュナは間違っていることを教えられたばかりなのに、どうしてこのような言葉を彼女にかけられたのでしょう?イエス様の本心ではないはずです。・・・イエス様の意図は、その時代にカナン人として生きてきた彼女に、厳しい現実を突き付けることにより、彼女の信仰を引き上げようとされているのだと思います。

15:27 しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」
 イエス様の差別的な言葉を聞いても、腹を立てるどころか差別を受け入れて願い続けます。娘を愛するため、必死に願い続ける母親の姿を見ます。
15:28 そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。
 「りっぱ」と訳されている言葉はギリシャ語で「メガレー」と言う言葉です。メガと言う言葉は私たちも使っています。本来の意味は「大きい」です。そこから「偉大、すごい、立派」と言う意味になります。カナン人の女性に対して「あなたの信仰は大きい」と言われたことになります。※参考 次の節の「りっぱ」とは原語が違います。ルカ 7:9 これを聞いて、イエスは驚かれ、ついて来ていた群衆のほうに向いて言われた。「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」イエス様はおぼれかけたペテロに対して14:31で、「信仰の薄い人だな」と言われました。・・「小信者」という言葉でした。(参照;マタイ14:28-31)また弟子たち全員にも同じ言葉を二度言われています。
マタイ 8:26 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
マタイ16:8 イエスはそれに気づいて言われた。「あなたがた、信仰の薄い人たち。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか。

 ペテロや弟子たちは「小信者」と言われ、異邦人女性に対して「大信者」と言われたことに弟子たちも気付いた事でしょう。イエス様を信じて何もかも捨ててついてきた彼らにとっては、ショックなことばだったでしょう。

3.立派な女の信仰

 信仰の創始者であるイエスさまが「大きな信仰」と言われたのですから、私たちも彼女から学ばなければなりません。彼女の信仰の何が素晴らしいのでしょうか?
@愛する娘のため懸命
 彼女は「私を助けてください。」と願っています。「娘を助けて」と言うのが普通でしょう。彼女にとっては娘は掛け替えのない娘であり、心から愛していることが分かります。彼女の必死の行動と願いは愛から出てきたものでした。我々も愛する人の救いのため彼女のように懸命になれるでしょうか?
Aしつこく願う
 彼女はイエス様の無視と、二度の冷たい言葉にもくじけませんでした。「それでも救い主か!」と捨てセリフを吐いて帰ってもよい場面です。「信じた私が馬鹿だった!」と言って、怒ってもおかしくありません。しかし彼女はどんなに冷たくされても願い続けました。私たちは彼女から「真実な祈り」を学びます。それは感情や状況によって変わらない祈りです。決してあきらめない祈りです。
Bへりくだり
「わたしはあなたのために来たのではない」「小犬にはパンをあげない」と言われても、彼女は反発するどころか、その言葉をそのまま受け入れています。カナン人として生まれたことは彼女の責任ではありません。カナン人が忌み嫌われるのは、先祖の犯した罪のためでした。しかし、彼女はそれを受け入れています。そして自分自身も主イエスの前では罪人であることを受け入れているのです。
 ※私たち夫婦が広島で開拓伝道をしていたとき、集会に集っていた一人の姉妹のことを思うたびに、心が感謝の気持ちでいっぱいになります。私の親ほどの年齢の姉妹ですが、私が牧師であるということで、尊敬してくださり、陰日向になって牧会を支えてくださいました。奏楽者がいなかったので奏楽をお願いしたときも、「下手なのですが、私でよろしいですか」と引き受けてくださり、次の週の礼拝の曲のメモを受け取り、毎日、時間をかけて練習してきてくださり、弾いてくださいました。若輩者の私に包み隠すことなく、なんでも相談してくださり、たどたどしい牧会でも喜んで感謝してくださいました。本当は私が彼女から信仰とは何かを教えてもらっていたと思います。イザヤ57:15に「私は高く聖なる所にすみ、心砕かれてへりくだった人とともにすむ」と書いてあります。主がこの姉妹とともにおられるといつも感じました。へりくだった心を持つ人は主が必ず祝福してくださいます。
C聖書理解
 彼女はイエス・キリストのことを「主よ、ダビデの子よ」と呼んでいます。また、イエス様の差別的な言葉を聞いても、「その通りです」と答えました。噂で聞いただけでなく、正しい聖書の知識と理解を持っていたと思われます。
D大きな信仰
a.神の偉大さを知っていた
 「主人の食卓から落ちるパンくず」で十分、それで娘は助かると告白しています。彼女は、主の恵み、主の祝福がどれほど多大なものであるかを知っていました。神の偉大さを理解していました。
b.主イエスを信じて疑わない
 「イエス様は必ず癒すことができる」と、信じて疑いませんでした。彼女の言葉と行動には、不信仰のかけらも見ることが出来ません。

 イエス様は彼女に言われました。「ああ(婦人よ)、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」
たちどころに娘から悪霊は去りました。イエス様の偉大なしるしです。彼女の信仰の勝利です。
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 短い聖書箇所ですが、ここから「信仰」について多くを学ぶことが出来ます。それは弟子たちにとっても同じだったことでしょう。ユダヤ人がさげすんでいたカナン人であっても、素晴らしい信仰者がいることを知り、彼らも驚いたはずです。私たちはこの女性が信じた同じイエス・キリストを信じているのです。私たちクリスチャンは将来、必ずイエス様にお会いします。そのときに、「あなたの信仰はりっぱです」と言われたら、どんなにうれしいでしょう。イエス様と会うときに、賞賛の言葉をいただくことを願いながら歩みましょう。